といってももともと多くのことを想定しているわけではなかった。襖や障子の張替えも積極的には考えていなかったが、ただベランダに面した窓の障子だけは別であった。猫たちがあまりに無残に破いていたし、その結果就寝時にも隙間風が吹きこむようでもあったからだ。
そこで、そこの障子だけを、猫の爪も歯が立たない丈夫な障子紙で張り替えることにした。昨今では、プラスチックなどの繊維を混ぜこんだ障子紙も出ているようであった。
ウォーキングの帰路、ホームセンターに寄って物色してみると、お誂え向きの障子紙が見つかった。手に取って眺めていると、年配男性の店員が寄ってきて熱っぽくそれを勧めるのだった。
「それなら丈夫ですよ。ワンちゃんの爪でも破れませんからね。えーっと、そこら辺にサンプルがあるはずです。」
と言って、厚紙の枠の中にその障子紙を貼ったサンプルを手にし、その真ん中あたりを自分の人差し指で勢い良く突付いて見せた。なるほど、障子紙の方は、まるでトランポリンのような弾力で指を跳ね返していた。
「猫の爪でも大丈夫そうだね」
と、自分はそう言ってその障子紙の筒二本と接着用テープを携えてレジに向かったのだった。
そんな荷物を持って歩いていると、やはり、ああもう師走なんだなぁという実感が湧いてきたりするから不思議だった。
そう言えば、子どもの頃は年末になるとよく襖の張替えをしたものだった。祖父の家に間借りをしていた頃のことだが、日曜大工の好きな祖父は一頃は自ら家中の襖の張替えをしていた。そして、自分はよくそれを手伝ったりもした。
そのうち、その "腕前" を買われたものか、 "襖紙だけ" が渡されて、「やすおのとこは、おまえがやってやれ」ということになったのである。
そんな経緯もあったりして、いつしか年末になると襖の張替えをするのが年中行事となっていたのだった。お陰で、貧乏所帯を持つようになって以降も、安い家賃の家の襖や障子だけはそこそこ綺麗に張り替えて過ごした。
それを見てのことか、都合で自分ができない年には家内が "テンプスタッフ" としてこなすこともあったかに覚えている。安い家賃の家というものは、もちろん古い作りの家であり、やたらに障子の引き戸が多かったりしたから大変であった。
だが、障子なり襖なりを張り替えると、年の瀬の気分が盛り上がり、そうして新年を迎えると、たとえ家全体は古くみすぼらしいものであっても、家の中だけは明るくすがすがしい雰囲気となったから、可能な限りは手を掛け続けたものであった。
こうした何でもない年中行事の家事作業、そしてそれらの元となっている季節の慣習的な出来事というものが年々日常意識から遠ざかっているような気配だ。実質的な日常生活から遊離した慣習的な事柄は、確かに疎んじられてもしかたないかもしれない。
だが、合理性や便利さだけを軸とする日常生活の、その実質とは、果たして人間を心底満足にさせているのであろうか。人間らしい潤いのある気分にさせているのだろうか。人それぞれであろうが、何か大事なものを見捨てているような気がしないでもない。
しかしまあ、現時点の時代環境は、そんな悠長なことなど言っていられないほどに "メチャクチャ" になりつつあるのも事実だ...... (2008.12.13)


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