寒い冬も、こうして明るい陽射しが伴えば何ら嫌うべ気候ではなさそうだ。むしろ気分を引き締め、心を清々(すがすが)しくさせてくれるようで好ましいとさえ思える。
そんな気持ちの良い冬晴れに誘われるように、今朝は速やかに床を離れた。
相変わらず、川の鯉たちへの餌やりを続けているが、これもまた、離れがたいこんな時期の床を潔く離れる動機となっているかと思えた。
しばらく雨も降らず、川の水も濁りがなかったことも手伝ってか、明るい陽射しの下の川面は、蠢く鯉たちの姿をくっきりと見せていた。
まさに、そうした鯉たちの挙動は、上方からは手に取るように良く見えた。別に、鯉たちは人間のように姑息な悪に走るはずもないのだが、まるで "天網恢恢疎にして漏らさず(老子)" のごとく掌握できてしまう。
大きな口をパクパクさせてパン切れを飲み込もうとしているのだろうが、何度も何度も手元ではなく口元が狂ってしくじるものがいたりする。苛立ちもするわけだが、逆に推測するならば、餌となるようなモノが滅多に流れては来ないことを物語っているようで、何となく哀れな気になったりする。まあ、可能な限り、食パンの耳を入手するなどして提供してあげることにしようと......。
日中、クルマで買い物に出かけた際、 "地元の神社" の案内用の旗が閃いているのを目にした。そう言えば、初詣もまんざら先のことでもなさそうだ、こうした寒さを身にしみて感じているうちに......、と思ったりしていた。
とともに、気の早い話だが、こんな不景気な時に、無残にも見放されたわれわれは、一体神仏に何を祈願するのだろうか、多分にこの経済危機を何とかしてください、とでも祈るのだろうが、果たしてそうした祈りは "地元の神社" では手に負えないのではなかろうか......、などとアホくさい心配をしたりしていた。
考えてみれば今時の神仏も、大変なことだなぁ、とヘンなことを考えていたのである。 "地元" の人々が、十年、百年と変わらない人生を繰り返している分には、地元の神仏も従来からの経験則(?)で対処できたであろうものの、このようにグローバル規模で、しかも千変万化の様相で行過ぎてゆく世相に対してはお手上げとなっているのではなかろうかといらぬ心配をしたりするのである。
バカバカしい発想だとは百も承知してはいる。が、 "地元の神社" を "市町村" などの地方自治体に置き換えてみるならば、にわかに話はリアルとなりそうである。
グローバリズムの風潮が野放しにされたご時世にあっては、背負い切れない荷物を末端の現場が背負わされるという解不能の矛盾が生まれるわけだ。
特に、医者は非常識だと個人的見解を披露するような現場知らずのオッチャンがシャッポでいるような政治状況では、庶民も地元の神仏も年が越せないのではなかろうか...... (2008.11.22)


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